宮本百合子

 有島さんは非常に人を観るの直覚力が鋭くあったようですが、従ってその死に対しても可なり深い理智の力によってそれを見通されたことではあろうが、人間の力は単に、人間の脳力によって肯定され否定され得る理智の力、即ち首から上の事だけで解決の出来ない、大きな力に支配される事があると思います。有島さんの今度の処置も或は其力の前に自然であったのではなかろうかと考えます。
 この死によって私は、殊に近来夫婦関係というような事に就いていろいろの事を考えて来ましたが、私共の機械的な日常生活の中に、こんな深遠な境地が係らわっていることか、と深く深く胸を撲たれました。そうして有島さんの最近の作物「二つの心」などを拝見しまして、あの中にある弱い男の殉情的な気持などを観ると、よくその中から今度のことが思い合わされるように思われます。

 七月八日、朝刊によって、有島武郎氏が婦人公論の波多野秋子夫人と情死されたことを知った。実に心を打たれ、その夜は殆ど眠れなかった。
 翌朝、下六番町の邸に告別式に列し、焼香も終って、じっと白花につつまれた故人の写真を見たら、思わず涙にむせび、声を押えることが出来なかった。彼の温容が心を打ったこと、並、人生の切なさ、恐ろしさ、平凡の底に湛えた切迫さ、真剣さを、一時に感じ、涙となったと云ってよい。
 翌十日、自分は、動乱した心持のやや鎮まりを感じ、気分を更える為に髪を洗った。
 今日(十一日)は風の強い、始めて蝉の声のする夏らしい日だ。
 朝から仕事にかかる心組みで、食後机に向った。一回分の半以上迄無事に進んだが、そのうち又、心についてはなれない感動の余波で注意が、仕事から逸し勝ちになる。自分は総てこの一事によって経験した自分の心持ちを書いたら、幾分頭はしずまり、仕事につけるだろうと思いついて、此の筆を執ったのだ。

 有島武郎の作品の中でも最も長い「或る女」は既に知られている通り、始めは一九一一年、作者が三十四歳で札幌の独立教会から脱退し、従来の交遊関係からさまざまの眼をもって生活を批判された年に執筆されている。
「或る女のグリンプス」という題で『白樺』に二年にわたって発表されたらしい。私共がそれを読んだのはそれから足かけ七年後、作者が題を「或る女」と変えて著作集の一部として発表した頃であった。一九一七年、一九年に出たから作者は既に四十二歳になっていた訳であろう。
 今度読み直して見て、私は作者がどうしてこれほどの執着をもって、この題材にあたったのであろうかという好奇心を感じた。何故なら、率直に言ってこれは菊判六百頁に近い程長く書かせる種類の題材でなく感じられたし、長篇小説として見ればどちらかと言えば成功し難い作品であるから。しかも、作者は一種の熱中をもって主人公葉子の感情のあらゆる波を追究しようとしていて、時には表現の氾濫が感じられさえする。
 葉子というこの作の主人公が、信子とよばれたある実在の婦人の生涯のある時期の印象から生れているということはしばしば話されている。